脳梗塞・脳出血や整形外科疾患の後遺症に対する新しいリハビリ方法である認知運動療法(認知神経リハビリテーション)の紹介。 麻痺や痛み・しびれの回復へ向けた日々の取り組みや基本的な考え方の紹介、相談コーナーもあります。

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去る10月22日に大阪認知運動療法勉強会に参加しました

内容は、塚本先生奥埜先生の講義

塚本先生の講義では、

情報を構築することの本質

についてのお話がありました

奥埜先生からは、

臨床的な内容


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去る10月22日に大阪認知運動療法勉強会に参加しました





今回は、約50名の参加者





参加されている方々は、いつも参加されている顔ぶれです








まずは、塚本先生の講義





内容は、

リハビリテーションにおける認識論

についてです











従来のリハビリテーションでは、

認識論をについて考えずに、

アメリカから輸入されたままをしていたそうです












その結果が
















40年間変わらないリハビリテーション

に繋がっている



とのこと












40年

変わらないとは驚きです











認知運動療法を考えたPerfetti先生は、

認識論を取り入れているそうです












ここから、

リハビリテーションにおける認識論

の話しへ進みます






従来のリハビリテーションでは、

三項関係1

のように考えていたそうです



なぜ良くなったのかという過程

を考えていないことが問題となります



認知運動療法においても

スポンジを識別する課題を行ったら良くなった

傾斜版を使って下肢の位置関係を

             識別する課題を行ったらよくなった


としか考えず、

なぜ良くなったのかという過程

を考えなければ、訓練は上手くいきません








認知運動療法の初期の考え方は、

三項関係2

だったそうです



セラピストが適切な認知問題(詳しくはコチラ)を出して、

認知過程が良くなると脳が変わる

という考え方です



知覚仮説(詳しくはコチラ)の重要性

が言われたのもこの時期だそうです












それから臨床の中で、

進化したことで…













現在の考え方は、

三項関係3

となっています





認知運動療法で

患者さんの病態

を考える時に非常に重要になります(詳しくはコチラ







一つずつ考えていきます






三項関係4

脳が変わると意識経験が変わる

というのはわかります



脳の損傷が起きれば、

身体や運動についての経験は変わりそうです







三項関係5


認知が変わると意識経験が変わる

というのは、どうでしょうか





認知というのは、

何かを知ったり

何かを感じたり


することです(詳しくはコチラ



知る・感じることは、

何かを経験していることになります





認知過程は、

認知に至るまでの過程

のことです





簡単に言えば、

感じ方・知り方

といったところでしょうか





認知過程が変わるということは、

感じ方・知り方が変わる

ということです



知る・感じる内容は変わることから、

経験する内容も変わることになります





以上のことから、

認知が変わると意識経験が変わる

と言われています











講義の中でポイントになったのが

三項関係6


意識が変わることで、

認知や脳が変わるのか



ということです





それを理解するためには、

「心」があるのか

「自分」があるのか


ということを考えなければならないそうです






17世紀、デカルトは

「我思う故に我あり」

と述べました





デカルトは、

この世の全ては疑わしいが、その中でも

唯一確かなことは全てを疑っている「我」がある

ということだと考えたそうです





多くの人が木の色を問われたときに、

みんなが「みどり」

と言うと思いますが、

デカルトは、それをも疑うそうです





そして、



「『我思う故に我あり』と思考しているモノ」

精神と捉え、



精神(脳)が身体をコントロールするという

心身二元論

を唱えました










現在では、心身二元論は否定されていますが、

「我思う故に我あり」

のどこがおかしいのでしょうか















それを解く鍵は言語にあるそうです


















そもそもデカルトは、

「我思う故に我あり」

フランス語で言ったそうです





心身二元論を簡単に言えば

「我」しか信じない

ということですが、

ここで矛盾が生じます











デカルトは

「我思う故に我あり」

フランス語で言いました












しかし











デカルトの考えに従うと、

「フランス語」も「我」以外のもの

であり、

「我」以外の「フランス語で言っている

         『我思う故に我あり』という言葉」を「信じる」


と言っていることに矛盾があるそうです











ここで大切なことは、

「フランス語」は、「我」と離れた全くの別物ではない

ということです












それでは、なぜ、「我」は

「フランス語」を話せるのでしょうか













それは
















小さいころからの

他者との経験

があるからです





私たちは、他社との社会文化の中での

経験

によって、認知や脳が変化しているそうです

三項関係7






デカルトがフランス語を話すことができるのは、

小さい頃からフランス語を話す社会文化の中で

他者との経験を積み重ねてきたために、

フランス語を理解し、

話すことができる脳になっているのです





「我」と「フランス語」は別物ではないのです





先ほど出てきた、

多くの人が木の色を問われた時に

「みどり」と言うのも

小さい頃からの他者との経験の積み重ねの中で得られた

共通の認識

なのです





「我」と「みどり」は、別物ではないのです









「我」と「フランス語」



「我」と「みどり」



主観と客観の区別はなく、



一体



なのです











デカルトは、

小さい頃から社会文化の中で積み重ねられてきた経験が

できあがった状態を「我」としています





「我」以外の「みどり」を疑うということは、

これまで経験してきたことを「疑う」ことになるので、

矛盾が生じるそうです






こうして心身二元論は否定されました








ここで認知運動療法の話に戻ります








三項関係7

認知問題を提示して、

患者さんの知覚仮説の立て方や思考を探ることは、

小さい頃から積みかねられた経験によって作られた

患者さんの世界観

を知ることに繋がります









つまり












認知問題は、

セラピストと患者さんが

患者さんの世界観を共有するための話題


となるのです







認知運動療法の大きな目標は、

患者さんの世界観を変える

ことになります





それは、

患者さんの生きざまと戦わなければならない

ことになるので、大変なことでもあります








患者さんが状況に応じて必要な情報を認知できない

情報の構築ができない

ということは、

今までの世界観から考えると認知できない

ということになります





それを、セラピストの援助によって、

少しずつ違った世界観で考えていくことで

今まで認知できなかったことが認知できるように


導いていくことが認知運動療法になります





情報を構築することの本質



どのような世界観で感じるのか

ということだそうです









患者さんの世界観を変える







認知運動療法の奥深さを感じます












後半は奥埜先生のミニレクチャー





今回は、

認知問題を展開する際に配慮しておくべき点



患者さんの問題点を捉えることの困難さ

についてのお話がありました





とても、臨床的な内容でした





患者さんが認知問題を解くときに、

いくつかの選択肢を提示しますが、

そのときに

「わからない」

という選択肢も与えておくことが大切だそうです





患者さんは、

“正解すること、解答すること”

にとらわれすぎることが多くあります







セラピストもそうかもしれません














しかし















大切なことは、

答えにいたる過程

です





認知問題に対して、

適切な知覚仮説を立てて解答する





セラピストは、その過程の中で、

患者さんがどこで悩んでいるのか

を見逃さないようにすることが重要になります






「わからない」

選択肢を与え、セラピストが

「どのあたりがわからなかったのか」

と聞いていくことが、訓練のヒントにつながることもあります








セラピストと患者さんが

共になぜ解けないかを考える姿勢

が重要になるそうです








認知運動療法は書籍だけではなく、

臨床によって深められる

ものだと感じました









認知運動療法の基本概念に臨床的な話にと

充実した勉強会となりました



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コメント
この記事へのコメント
勉強会
 過去2回参加させてもらった勉強会での塚本先生の講義はとても興味深いものだったので、また聴きたいと思っていました。最近はいろいろあって勉強会に参加できなかったので、このようにブログに講義内容を紹介してくれるとありがたいです(しかもとても解りやすいです!)。
2009/11/12(木) 23:18 | URL | getemono #-[ 編集]
No title
まさに今、担当している患者さんがそういった症例です。分からないと言えない。分からないからもう一回感じさせてといった場合はほぼ確実に正答する。でも触って納得して答えた場合には殆どデタラメ…これが僕の書いたカルテの患者さんです。
 少し説明不足で話が飛んだように感じるかも知れませんがこの患者さんは例えばスポンジと木の圧識別(必ず交互に感じさせる)を行った場合、1個目をスポンジといった場合は2個目でスポンジを置いても修正する事が難しくなります。でも2個とも感じさせて答えを求めるとほぼ確実に答える。(最近ようやくそのレベルになりましたが…)だから僕の中で1つ確実なのは
・注意の問題がある。
・感じようとすることと回答しようとする過程に隔たりがある。

可能性を3つにした場合は本当に難しくなってしまい、比較できなくなる。これについては
・おそらく表象化の過程に問題がある。

 患者さんが分からないと言えることは重要なことです。ただ損傷部位によって質問を変える必要もあります。評価の中で分からないと言えるか?というのも患者さんの能力を評価する指標になります。だから用意しないという選択肢もある。大事なのはセラピストの頭の中にどれだけの可能性(選択肢)が用意してあり、それが組織化されているか?ということだと思います。そしてより確実なものから扱うこと。ここに書いたのは僕の考えなのでMarinaは違うと言うかも知れません。でも自分が考えたことを整理していくことも必要なので恥ずかしながら書きました。
 マスターコースで皆さんに会えるのを楽しみにしています。
2009/11/13(金) 03:40 | URL | Koso #-[ 編集]
情報の構築について
 哲学的な難しいことはよく分かりませんが、情報の構築について具体的には注意を向けるべき部位や情報に選択的に注意を向けることが出来ない、複数の情報を統合し一つの全体性のある情報に出来ない、ということが言えるのではないでしょうか?だから健側においても“どのように情報を構築するか?という過程で何かしらの問題を生じる”患者さんはよく“こっち(健側)は感じるけどこっち(患側)はあんまり感じない”というように回答する事があると思います。これも一つの差異ですが認知課題についてこの差異は有効ではありません。もう少し深く考えてもらって、どういう具合に健側では感じて行くんだろう?と尋ねてみて下さい。部位、注意を向けるべき差異(表面素材であれば感覚のコード化)…だから情報構築と注意の問題は非常に密接であると言えます。
以下は情報の構築ではなく如何に注意を導くかですが、
例えば表面素材であれば少なくとも触らなくては感じることは出来ません。また表面素材上を動かしている途中と動かし始めとでは感じ方が違うかもしれません。だから“もうすぐ触れますよ!今触れた!今のところどんな感じ?まだ分かりませんか?じゃあ動かしてみますよ。外へ…内へ…”今挙げたケースは非常に注意に問題があり感じることの難しい患者さんです。ただ訓練を通じてこの指示を減らしていくことが出来れば少しずつ患者さんが注意の問題を克服して行っていると言えると思います。そして次の日はもう少し指示を減らしてみる。で上手く感じられなければまた戻してみる…このようにやっていきます。患者さんは情報の構築と注意のコントロールを同時に学んでいきます。
 僕が体調不良で休んでいた時、10日間Marinaが僕の患者さん(勿論担当はMarinaですが…)を見ていた時に表面素材識別を行い滑らかな表面素材を触ってもらった時に“他に滑らかな手触りのものを日常生活の中から見つけられる?”と質問した時に患者さんは“鏡と瓶”と言ったそうです。そこで“なんで鏡と瓶がスベスベしているとわかるの?”と聞いたところ“鏡は反射するし、瓶は透き通っているから…”と答えたそうです。そこでMarinaは今まで求めていたイメージや予測が非常に視覚的なものに終始していて体性感覚には向いていなかったんではないかと考え、極力、言語を使用しないで何らかの“差異”から訓練を組み立てるようにしていったそうです。具体的には柱で支えられた立方体の外側面、上面、前面に正方形の形状を張り付け、なぞって感じさせ、それがどの面にあったか答えてもらう、そして必ず答え合わせをする。間違えれば間違えたことのみを伝え、もう一度感じなおしてもらう…説明不足で上手く伝わらないかも知れませんがこんな感じです。とにかく比較の中から体性感覚に注意を向けて行くような方法を考える。という感じです。僕もこの患者さんについては比較から差異を見出す方法ではよく体性感覚に注意を向けることが出来るように感じます。だから患者さんが“もう一回感じさせて!”といった時は殆ど間違えない!?…でも何で?僕の今の仮説(と呼べるほどのものではありませんが)は患者さんが予測を構築してしまうと予測と現時点で知覚しようとしている内容がぶつかり、予測が打ち勝ってしまう。つまり分散的注意の大きな問題がある。ということです。もちろん、感覚の大きな問題があるのは言うまでもありませんが…
 長々と書いてしまい論点がぼやけてしまったような気がします。今度はもう少し整理して書けるように努力します。
2009/11/13(金) 06:08 | URL | Koso #-[ 編集]
待っています
>getemonoさんv-22

講義内容の紹介させていただく過程では、私自身の復習にもなりますので、良い機会になっておりますv-353

は、私の解釈も入っている部分もあると思いますので、
誤った解釈などがありましたら、ご指摘いただければ幸いですv-21

また、落ち着かれましたら勉強会にもいらしてくださいv-354
2009/11/19(木) 08:39 | URL | 生野達也 #-[ 編集]
情報を構築する
>Kosoさんv-22

イタリアからコメントをいただきまして、ありがとうございますv-233

>情報の構築について具体的には注意を向けるべき部位や情報に選択的に注意を向けることが出来ない、複数の情報を統合し一つの全体性のある情報に出来ない、ということが言えるのではないでしょうか?

補足していただきまして、ありがとうございますv-21

あと、「スポンジが硬くなればなるほど、体にかかる圧力が増えていく」
といったような、
身体外部の情報と身体内部の情報が変化していく規則性と法則性
を学んでいただくことも含まれていると考えますv-352

患者さんが「感じることができない」原因は、
一人一人異なるので、認知問題を通じて、
確認していくしかないのですねv-355

私自身は、
v-132「この認知問題を解くには、自分だったらどのようなことに注意を向けなければならないのか」
v-132「患者さんの場合は、認知問題を解く過程のどこに問題があるのか」
を考えたうえで、
「感じさせるための援助の方法」を考えておりますv-48

認知運動療法の臨床は、
決まりきった答えがないので、
臨床における仮説ー検証作業が大切ですねv-22
2009/11/19(木) 08:54 | URL | 生野達也 #-[ 編集]
仮説ー検証作業から得られる解釈
>Kosoさんv-22

臨床場面を教えていただきまして、ありがとうございますv-354

>1個目をスポンジといった場合は2個目でスポンジを置いても修正する事が難しくなります。でも2個とも感じさせて答えを求めるとほぼ確実に答える。

認知問題を行う際に、
どのような選択肢があるかを提示せずに認知問題を行うと不可能ですが、
認知問題を行う前に、
スポンジと木といった、どのような選択肢があるのか
を提示してから認知問題を行うと可能になるということでしょうかv-361

>・注意の問題がある。

なぜ、そのような結論に至ったのかをご教示いただけますでしょうかv-361

認知問題を行う前に、スポンジと木の選択肢を提示した時に、
「二つの差異を認知するためには、~のようなことに注意を向ければよい」
といったことを学習してから行ったのでしょうかv-361

>・感じようとすることと回答しようとする過程に隔たりがある。

認知過程の問題としては、どのように捉えればよいのでしょうかv-361

注意を向けることはできるが、判断に問題があるので、
言語化して解答するときにはエラーが生じる

といったようなことでしょうかv-361

>可能性を3つにした場合は本当に難しくなってしまい、比較できなくなる。
>・おそらく表象化の過程に問題がある。

「表象化の過程」とは、具体的にはどのような問題なのでしょうかv-361
認知過程とは異なるものなのでしょうかv-361

私でしたら、
選択肢が2つであれば可能だが、3つになると不可能
という現象からは、
「2つならば記憶できるが、3つになると記憶することが難しい」
といったように、
認知過程における「記憶」に問題がある
と考えてしまいますv-48


質問ばかりで申し訳ありませんv-393
いつも、ご意見をいただくことができて感謝しておりますv-22
お時間があるときでかまいませんので、よろしくお願いいたしますv-353
2009/11/19(木) 09:23 | URL | 生野達也 #-[ 編集]
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秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
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